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2006年3月16日 (木)

「日本は民主的中国を待つ(Japan Awaits a Democratic China)」(麻生太郎外務大臣投稿)

「日本は民主的中国を待つ(Japan Awaits a Democratic China)」(麻生太郎外務大臣投稿)

2006年3月14日

3月13日付ウォールストリート・ジャーナル紙(A18面)
「日本は民主的中国を待つ(Japan Awaits a Democratic China)」
(麻生太郎外務大臣投稿)

私は中国について前向きな見方をしている。中国は、香港と合算すれば、既に我々の歴史上最大の貿易パートナーであり、日本の最近の景気回復を勢いづけた。これから先も、日本と中国の相互依存はますます明確になる一途だろう。私は、中国が自由で民主的な国になっていく限り、中国が東アジアの舞台の中央に返り咲くことを歓迎する。私は中国がそうなると信じている。

アジアにおいて民主主義は拡大している。日本の首相が、最も近隣の民主主義国に行こうと思ったら、一昼夜かけてキャンベラまで飛んでいかなければならなかったのはそう遠い昔のことではない。今では世界で最も活発な民主主義国の首都であるソウルまでは西に向かって2時間のフライトである。

中国の変化は間近に迫っており、私は、その発展の見通しに前向きである。日本や韓国やインドネシアの人々は皆、経済発展の継続が安定した中産階級を創り出し、それが政治的代表の拡大への跳躍台になると証言できる。問題は最早、中国が完全に民主主義国へと「転身するか否か」ではなく、「どのくらいのスピードで変わるか」である。私は、中国にいる我々の友人に対し、日本はその目的に関する中国の成功にコミットしていると保証できる。

想像してほしい。今後20年の間に、日本に対する中国の影響は莫大なものになるだろう。学生からリタイアした人々まで、中国からの行楽客は、日本の観光業界の最大の顧客になり、京都などの観光地を埋め尽くすだろう。東京のタクシー運転手も、英語ではなく中国語を話すようになるだろう。中国は日本経済における最大の投資者となり、東京で取引される株式のかなりの部分が中国の手にかかることになるだろう。今日、日本企業は投資のマーケティングでニューヨークに出張するが、じきにまずは上海に飛ぶようになるだろう。

実は、アジアの歴史的コンテクストを考えれば、このシナリオは特に目新しい話でもなければ驚きでもない。中国は、多くが主張するように新たに世界の大国になったのではない。実際には、その歴史的な偉大さを取り戻しつつあるのである。私は、もはや帝国が存在する場所はないことを中国が認識することを望む。むしろ、今日の世界における指針は、グローバルな相互依存とそこから生まれる国際調和である。

中国の歴史は、最も極端に振れた歴史のひとつである。1842年、清朝がアヘン戦争で負けて西側の列強の支配下に入った。これが一方の極端である。また、1949年、毛沢東が大躍進、文化大革命に突き進んだとき、中国は他方の極端にぶれた。今ではこれらの両方が誤った政策であったと見なされている。最近に至るまで、中国では、ヴィジョンと現実、今ある姿と望む姿とをうまくバランスを取る余裕がなかった。

非常に重要なことに、中国は日本が行った過去の失敗の経験から学ぶことができる。日本は、20世紀の間に極端なナショナリズムを2度経験した。一つの象徴的な出来事は、1964年の東京オリンピック開幕の直前に起こった。ある日本の十代の若者が、当時のライシャワー駐日大使を刺したのである。当時、日本人の感情は、米国のパワーと影響力を前にして高揚していた。北京の指導者たちは、このような日本の経験から教訓を学び、ナショナリズムの高まりをよりよく制御することができるだろう。また、1960年代および70年代に日本を苦しめた環境汚染の問題も、中国が、日本の成功から影響を受けるのと同じくらい、日本の誤りから学んでほしいと願う分野である。

軍事的プレゼンスについては、日本は、アジアの安定装置(ナチュラル・スタビライザー)である。日米は、世界で最も長い期間にわたる安全保障パートナーシップを結んでいる。それは透明性が 高く、二つの民主主義国の間の関係である。日本人も米国人も、単独で行動すれば、不信を抱く向きが出てこよう。他方、共に行動す れば、誤解の余地はない。中国とその他すべてのアジア諸国は、今後も日米が共同で提供する、地域に組み込まれた安定装置(ビルト・イン・スタビライザー)を頼ることができる。これは、中国政府にも利用可能な公共財なのである。そこで私は、中国の防衛支出を十分に公開することを要請したい。中国は、これがまだ不透明であることを認めており、また、この10年間で3倍になっている。

最後に、日本の戦後の歩みについて考えたい。私は、日本が、少数の例外はあるものの、基本的に自らをオープンにし、そして近隣諸国に仲間として接してきたと自信を持って言えると思う。自らを「技術屋」だと自負している者として、私は、日本が近隣諸国に対し示してきたこのような態度を「P2P」あるいは「PEER TO PEER」の関係と称してきた。

私は、こうした考えが広く特に中国の人々の間で共感されればと望んでいる。このため、私は、外務省の同僚に、複数年にわたる学生交流のプログラムを創設するように要請した。この計画は、中国の将来に対する私のビジョンのように、極めて前向きなものである。

私は、日本の若者が中国を温かい目で見てくれることを強く望んでいる。中国の成長は、誰の利益も妨げるものであるべきではない。我々の新たなプログラムは、何千人もの日中の高校生の交流を促進し、これらの若い大使達が互いの国の一般家庭に滞在し相互理解の種を植えるものである。このプログラムが成功すれば、20年後には、日本の男女は中国について自ら直に得た知識をもって、中国人を最もクールな友人として数えるようになるだろう。そして、さらに多くの中国人も、日本についても同じように感じるようになるだろう。

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